
年末に「じじや」なる店で美味い寿司をたらふく食べた際、遠くに見えた山が気になったので行ってみることにした。
バスを降りてみると、なんやよーわからん畑に出た。

見た感じこのまま進むと山の未開発地帯に行けるらしい。

きたぞ、きたぞ、きたぞ...(太陽神並感)つかこれ妙なデジャブがあるな。もしかして雛見沢かしらん(・∀・)??

謎の神社発見。これは古手神社に相違ない!

やっぱりな。ん?兎谷と書いてあるって?何のことを言ってるかわからないな(・∀・)

十分にご縁がありますように、とお賽銭を投げて古手神社(しつこい)を後にする。てかこの神社どこが管理してるんやろか?鵜飼秀徳の『寺院消滅』じゃあないけど、神社庁は今揉めてて金比羅さんも脱退したと聞くし、人口減少と衰退の中でこういった地方の寺社がとう運営しているのか、そして運営していくのか、気になるところではあるね。

神社横の道路を真っ直ぐ進むこともできたが、なんか魅力的な脇道を発見したのでそちらを選択。

なかなかいい運動になるで...

道を抜けたら山を見渡せる位置に来ましたよと。うーむ、いい景色だ。

まあ周りはがっつり住宅街なんですがねw

そろそろ山歩きも終わりに近づいたところで基地らしきものを発見。きっと「山狗」のものに違いなひ。てか高台から丸見えって危機管理的に大丈夫なんですかいね( ̄▽ ̄;)
ただ、あの大戦を真摯に(何がダメだったのかと)反省するのなら、「絶対悪」のレッテル貼りでもなく、「我々は正義で実は被害者」などという噴飯ものの居直りでもなく、徹底した構造解析と教育(による共有)でしかありえない、と私は思う。
その点、以上のような思考態度と学びに失敗した日本が、「今さら変えられない」を繰り返して衰防の一途にあるのは一日本人として残念ではあるけれども、極めて必然的なことだと思える。