
線路は続くよどこまでも~(妄想)
てな具合でトロッコ電車から紅葉を眺めるのもそれなりの時間になったところで、

「月崎」という駅に到着。平仮名で表記してるのはメルヘンチックな感じを表現するためだろうか(undertale並感)?

ちなみに、車内は12月という季節柄もあってかこんなデコレーションがなされておりマス。

飯給駅に到着。ここは壬申の乱に敗れた弘文天皇が落ちのびた際に食事を提供したことからその名がついたようだ。
「調布」のように古代律令制時代に基づいた地名は散見されるが、この駅舎の掲示を見ると、改めて漢字というものの便利さを実感した次第。「このはしのはしにはしをおとしたというのはほんとうですか」とか、まじ発狂しそうになるからナwまあちなみに古文というものを現代の人が見て取っつきにくく感じるのは、当時の風習(古文常識)との齟齬も去ることながら、平仮名表記によるところが大きいよなと思う(「ありがたし」をそのまま見ると現代語的に「ありがたい=thankful」みたいに感じられるが、それを「有り難し」と漢字にすると「あるのが難しい」=珍しいという意味が了解されやすい)。
例えば方言に関しても前に書いたことがあるが、熊本弁の「まご」はただ喋ると「very」という意味だなというぐらいにしか思わないが、「まうごつ」→「舞うが如く」→「酒を飲んで舞うが如く(のレベルで酔っぱらっている)」と由来を理解するとすんなり受け入れられるしね。

とか思っていると、川に差し掛かった。
今述べたことは欧米の言語にも言えて、例えばrival(ライバル)という単語はよく知られているが、その語源はラテン語の「rivus」で、つまりは英語のriverと関連する「水源を争うもの」の意である。
そも水の確保は日本において村落共同体における用水路の権利明文化などからもその重要性はよく知られているところだが、ラテン語つまりローマ帝国の元になったイタリア半島は地中海性気候であり、降水量が少なくいっそう水の確保が困難だったその場所において、川がそのまま敵対者の単語に繋がったことは驚くべきことではないだろう(もちろん、ローマはティベル河畔の都市国家であるため相対的に肥沃な地帯ではあり、その意味では古代ギリシアの中でもラコニア平原でそれなりの規模の農業を営めたがゆえに鎖国体制を築けたスパルタに近いところがあるのだが)。
てなことを思いながら、再び外の景色をぼんやり眺めるのであった。