自分の書いた記事を後で見ると、まるで他人の書いたもののように感じることがある。例えば君が望む永遠(以下「君望」)のレビューに関しては、見返してみると何やら執念のようなものが文の端々から感じられたりする。まあ書いた本人がそう思うくらいだから、多分読んでいる人にはそれ以上のプレッシャー(?)が感じられることだろう。ところで君望レビューを見返しながら、その成功要因について考えてみた。すると、
1.選ぶ「快楽」が一般的だった恋愛ゲームに、選ぶ「苦痛」という新しい方向性をもたらした。
2.選ぶ「苦痛」を誤魔化さず、それどころか恋愛ゲームでは隠蔽されがちな「生活」という側面を絡めて、むしろ「苦痛」を逃げ場の無いものとして強調・増幅した。
3.選ぶ「苦痛」を単なる新しさで終わらせず、細かい心理描写、演技、テーマ、構図などでしっかりと肉付けした。
の三点に集約できた。ちなみに、私の知る限りで君望の後しばらく流行った(二股やドロドロした関係を基調とする)「鬱ゲー」なるもので評判の高かったゲームは皆無である。それはおそらく、1のプロットの部分だけ利用し、2と3は取り入れなかったor取り入れることができなかったからだろう(たぶん後者)。
おそらくこれから、選ぶ「苦痛」をテーマとしたゲームは出ないのではないか。なぜなら、そのテーマは(この時代に生きる)プレイヤーの快楽原則に反するものであり、それを乗り越えて受け入れられるには非常にハイレベルな内容が必要となるからだ(※)。とすれば、君望はエロゲー、いやゲームの中でも非常に特異な存在であり続けるのではないだろうか。そのように思う。
※
社会においてただでさえ結婚などが一選択肢として相対化されつつある今日、エロゲーをプレイしている人間に選ぶ「苦痛」や重い責任を伴う選択が歓迎されるとは到底思えない。