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疑り深いヤツになっちゃったのは~週刊誌のせいじゃないお前のせいでしょ~♪でも、真実を知ることが、全てじゃな~い♪

シュガーラッシュ:承認の在り処、そして利己から利他へ


日曜は早朝から研修だったので、翌日は振替で休みを取った。

 

動き回る元気はなかったので、DVDでも見るかと色々借りて最初に見たのが「シュガーラッシュ」。事前にtrailer見た時も感じたけど、本編で確信したわ。ヴァネロペちんは俺の娘(←洗脳済)。可愛らしいけど、皮肉屋でいたずら好き。でもみんなに認めてもらいたくて努力する子でもある(皮肉っぽい笑みの破壊力は完全に反則w)。そんな娘が目標目指して頑張るって言うんなら、親としてどうして応援しないことがあろうか、いやない(*´ω`*)!!

 

とまあそんな精神状態で見ておったわけですが、内容は極めて興味深いものでごわした。数年前の有名作品なのでもう結構語られ尽くしておると思いますゆえ、ネタバレを恐れず先行研究(大げさ)も見ずに好き勝手書くなら、この作品のテーマの一つは、役割=burdenということ。つまり役割とは、重しであると同時に重責でもあるのだ。

 

ここで言う「重し」とはどういう意味か?序盤のラルフの見られ方や、ヴァネロペのいらん子扱いを見れば説明不要だろうが、一応言っておけば、役割はそのキャラの全てではないのに、レッテルとして彼・彼女を縛り苦しめるということである(これは傑作「ズートピア」のテーマでもある。現実世界で言えば、人のあり方は生まれと育ちで決まるのに、生まれだけでその人を決めつけるようなものだ)。ならば「重責」とはどういうことか?「重し」ならそんなもん放棄したり破壊すりゃええやんというのは誰でも思いつくことだが、そこでラルフがいなくなった元の世界が消滅の危機を迎える描写が生きている(「悪役の会」は半分ネタなのかと思っていたが、まさかザンギエフ先生の「悪役としての存在意義がある」というクリシェっぽい発言にきちんと意味付けしてくるとは恐れ入ったぜ)。そう、役割は重しであるだけでなく、「重責」の言葉通り重い責任を伴うものでもあるのだ(いないと作品が成立しない=他の人間にも大きな影響を与える)。

 

とはいえ、それじゃあ不全感を抱えながらも今の役割に甘んずるしかないのだろうか?という話になる。そこで効いてくるのが、実はゲームセンターに置いてあるゲームが裏でつながっていて、別のゲーム世界に行けるという設定である。例を挙げると、ラルフは元の世界では壊す役割=他人にとっての害=悪役を付与され、それは外の世界でも様々なトラブルを巻き起こす。しかしシュガーラッシュの世界でヴァネロペに練習場を作ってあげる段では、その「壊す」という行為が利他へと変化するのだ。要するに、特性を変えられないかもしれないが、と同時にその特性の影響・評価は使い方次第でもある、ということだろう(さっきラルフの元いた世界の消滅危機について触れたが、それはラルフの[理解はできるものだが]利己から始まった。しかし、後半にいくにつれラルフはどんどん利他的になっていく。そして最後は、自分のためにメダルを追い求め続けたにもかかわらず、それが叶わなくても他者を救うおうとする人間になるのである)。あるいはHero's Dutyのカルホーン軍曹はトラウマを抱えているため最初は自分に好意を寄せる人物を拒絶するが(ここまでは「キャラ設定通り」と言える)、対比的に最後はそれを乗り越る。そしてこれを可能にしたのは、まぎれもなく世界の越境によるものであった。そして、ラルフは最後に自分の世界に戻るが、彼はその世界を前よりも好きになり、自分を肯定するようになった。それは周囲の見方が変化したことと、何よりヴァネロペという自らを「ヒーロー」と呼んでくれる=承認してくれる人物を得たからに他ならない(そう考えると、これは、日常世界から非日常世界を旅し、また日常へ戻るがそこはこれまでとは違った日常に見える・感じられるという王道的展開の一つとみなせる)。

 

このようにして、役割の二重性を提起し、それが逃れられないスティグマでは決してないことも示した上で作品は終わるのである。序盤ではレトロを含め色々なゲームのおもちゃ箱的世界観(※)が目を引く作品ではあり、それが興味を引くきっかけにはなるだろう。しかしながら、そういった世界観の新しさやノスタルジーコンテンツのみで引っ張るのではなく、そこに物語的な軸・意味もきちんと設定した点が極めて高く評価できる。言い換えれば、新奇な世界観や可愛らしいビジュアルで人を引き付けながらも、その軸は「利己から利他」・「日常世界→非日常世界への飛躍→日常世界への帰還と変化」といった非常に王道的展開でかつ世界観とリンクしたものであるがゆえに、人をよく納得させ感動・感心させる作品となっているのである。

 

はい、というわけですばらしい作品でおました。「シュガーラッシュ:オンライン」も12月末と忙しい時期ではあるが見に行くことを決心した次第。ま、娘に会いに行くのは親として当然の務めだよね(*‘ω‘ *)(←まだ言うか)。

 

※余談

ここで「レディープレイヤー1」などを連想する人もいるだろう。こういう世界観はニコニコ動画You Tubeを見ればもはや一般化(東浩紀的データベース消費社会が可視化)しているのだが、映画やTV番組、アニメといった媒体では見られない。まあ「レディープレイヤー1」からすると、小説の段階では大丈夫だが、映画やアニメにする段になると著作権許諾を厳格に取ろうとして難航したり無理だったりしたようだ。また詳しい経緯は知らないが、「ハイスコアガール」もアニメ化段階で許諾を取ってないことがわかって刑事告訴にまでなったらしい(で、漫画も連載中止となった)。まあゲームではスパロボとか(同じ会社内の作品ではあるが)スマブラのようなゲームもあるし、想像力・創造力のあり方にシステムが追い付いてない、とでも言うべきか。これも詳しいことは知らないが、スパロボバンダイナムコグループが商品化の権利を持っている作品であることが採用の条件になっているようだから、できる限りシステムを活用していくしかない、ってところか。とはいえ、シュガーラッシュを作った出図兄様にしてからがロビー活動までして著作権延長したりとアレなので、この問題はなかなか解決しないわなー(;・∀・)

 

というわけでポプテピピックウヴァーァ!!!!全ての人の愛するもの(訳:クソアニメ)を消し去り無に帰してくれようぞ~・・・あ、どっちにしろ5話のアレで出図兄様にボコられてああ~ん!な状態になるって寸法かな(・∀・)