(はじめに)
真面目に見に来た人には申し訳ないが、社会学・人類学の本でも読んでもらった方が全然ためになると思う(^^;)一応日本限定で考えてマス。あと「奇形」という言葉を使っているが、これは当時の人々の認識を反映したものとして理解してもらいたい。
いわゆる「近親相姦」が倫理的によくないという見解は、大勢の一致を見るところだろう。しかし理屈で考えてみると、「なぜよくないのか」「よくないとされるに到った過程は?」といった疑問が生じる(俺だけかもしれんけどw)。まあ生理的嫌悪感ってのが大きいとは思うわけだが…ちょっと考えてみると、「奇形児の生まれる可能性が高い」という理由が思いつく。次は、これについて「なら避妊すればええんちゃうんか?」という疑問がまた出てくる。そこに到って多少わかった気がする。というのも、避妊の方法が確立したのはそれほど昔のことではないのであって、行為は必然的に妊娠→出産へと繋がるものであった(まあ嬰児殺しは頻繁に行われており、それを非難して「真宗門徒を見習え」なんて言う江戸時代の文献も残っている程なわけだが)。とするならば、そうして生まれてきた子供は高い確率で奇形だったと考えられるし、それが「近親相姦」のタブー視強化=一つの抑止力として働いたと思われる[どのくらい昔かは想像もつかんが]。
次に、制度的な理由が考えられる。平安時代においては叔父―姪の結婚というようなことも行われてもいたが、こと親子となるとそうは行かない。もし結婚まで押し通そうとすれば、婚姻の解消という過程を踏まざるをえなくなるからだ。であれば、制度的・公的に認めるという状況はまず起こりえないから、必然的に密通という形態にならざるをえない。密通に対する罪の意識が、時代でどう変化していったかわからないので難しいところだが、少なくとも前に述べたことから昔は密通にも妊娠→出産が伴わざるをえなかったという事情は把握できるように思う。とすれば、生まれた子供たちが奇形であったり、精神的疾患(「憑きもの」など)を持つという事態に遭遇することもまた少なからずあったと想定される。密通であればこそ、その点にやましさが集約されたとしても不思議ではない。そこからは「近親相姦」への罪の意識もまた醸成されるであろう。ところで、未亡人とその子は制度的な制約を受けないのではないか?という疑問が残る。もしかすると、制約が無いからこそ結婚ができ、その結果多くの奇形児などが産まれることによって密通以上に「近親相姦」へのタブー視を強めた…のかもしれない。
また宗教(主に仏教)の影響もあろう。まあ経典とかよく知らんので飛ばしますけどね(ぉ)とりあえずは「宗教で近親相姦が禁忌とされるのは何故か?」という宗教学的命題を提示しておくにとどめる。
てゆうかほとんど妄想ですな~。多分今までで一番不毛な記事だわ(苦笑)妄言にお付き合いいただきありがとうございました。