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疑り深いヤツになっちゃったのは~週刊誌のせいじゃないお前のせいでしょ~♪でも、真実を知ることが、全てじゃな~い♪

政教分離とキリスト教の相克:日本人の無宗教を生み出した要因への一考察

 

数日前に、世界における政教分離の比較の動画を転載し、政教分離という言葉の成り立ちや、あるいはそれをどのように今後の日本の運営に生かしていくのかについての国民レベルでの無知が、不毛な状態を生み出していると書いた(ついでに言っておくと、その最後に人工知能の話を書いたのは「ブレードランナー2049」の記事へとつなげるためである)。

 

今回の動画は、矢内原忠雄を冒頭に取り上げつつ、明治期の信教の自由と政教分離、そして無教会主義の相克を簡潔に述べた講演である。ここでの説明はあくまで導入として、内村鑑三をはじめとする無教会主義者個々人の思想の探求、あるいは井上哲次郎井上毅(後者は動画中に出てこないが)などがどのように国体と政教分離を両立させようとしたのかなどを研究するきっかけとしては最適であるように思われる(全くの私事で恐縮だが、院生の時にアルバイトで衞藤瀋吉の論文を校正していた折、矢内原忠雄南原繁重光葵などの名前に度々お目にかかったので、何だか懐かしい気がした)。

 

さて、この動画で定義されている日本型政教分離の特徴、すなわち聖と俗が補完関係にあるという構造は改めて日本(人)の無宗教を考える上で興味深い視点だと感じた。その理由は少し長くなるが以下の通りである。日本でなぜ無宗教が多数派になったかを分析する場合、印象論に終始するのは無意味である(それらしい後付けの要素に飛びついて終わるのみ)。とすれば、ある程度明確なエビデンスが必要なわけだが、その一つが1952年の読売新聞による調査である。そこでは全国204カ所から15000分の1の抽出率で選挙人名簿から3002人が選ばれ、うち2572件(86%)から有効回答を得ている。結果として、

「あなたの信じている宗教は何ですか」という問いに以下のような結果が出た(カッコ内は「家で信仰している宗教は何か」という問いに対する比率)。

仏教:54.4%(89.3)、神道:3.2%(2.6)、教派神道3.1%(2.4)、キリスト教2.5%(0.5)、その他の宗教:1.5(0.6)、なし:35.3%(4.6)

さらに「あなたの信仰はどの程度でしょうか、形式的や習慣的なものですか、それとも心から信じていますか」という問いを宗教がある人のみに聞いたところ、

心から信ずる:52.5%、形式や習慣による:42.7%、わからない:4.8%

という回答を得ている。

 

他にも様々な調査があるが、詳細は別の記事で書くつもりなのでここでは割愛するとしても、この調査から言える極めて重要なことは三つあるように思える。すなわち、

(a)1952年、すなわち戦後であっても、日本人の過半数は自分が無宗教だとは認識していなかった

(b)その中身として、家の信仰で見た場合に数値が跳ね上がるのが仏教のみで、その他はおしなべて家の信仰より自分の信仰が高い(神道と仏教の違いは、神道非宗教説の刷り込みが成功したがゆえか?)

(c)信仰があると答えた人も、半数近くがその中身は習慣などによるものだと返答した

 

ここからさらに、

(A)「日本人は伝統的に無宗教である」といった言説はまやかしである、という結論。

(B)信仰は形式的な側面が強く、また家の信仰の比率が極めて高いことを考えると、逆にそのような共同体から切り離されれば、表面化・形式化した信仰はちょっとした要素で雲散霧消する可能性が高くなるのではないか、という仮説。

が導き出される。

 

なお、(A)はしばしば喧伝される日本人論に振り回されず、歴史事象のつぶさな観察と経年変化に目を向けるべきである、と言い換えることもできる。また(B)の仮説が蓋然性の高いものとして前提化できるようになって初めて、「アメリカ的物質至上主義」の影響をアメリカと比較したり、唯物論の影響を中国やヴェトナムと比較する意味が出てくる。また、「日本人の無宗教は特定の宗派に帰属意識がないだけ」と言われることがあるが、こういった数値から見る限り、特定宗派云々はあまり関係なく、長年にわたるシステム化で帰属意識を繋ぎとめる錨が信仰ではなく儀式・儀礼になっていたので、そこに関わる頻度が下がるにつれて、そもそも表面的だったものが完全にイベント化して帰属意識と切り離された、というあたりが妥当な説明であるように思われる(ちなみにこれだと、信仰を表面化させることについて「浮いた存在」・「空気が読めない存在」であるようにみなす「宗教アレルギー」と呼ばれるような態度も同時に説明できるのではないだろうか)。

 

さて、長々と理由説明をしたが、今の私はこの結論と仮説に立って、戦前までの宗教のシステム化・形骸化の過程を負いつつ、戦後の宗教的帰属意識の低下についての要因分析を行おうとしている状態にある。これが明治期にキリスト教が広まらなかった理由の分析神仏分離・廃仏毀釈などを度々取り上げている理由であり、またこれからの記事で戦後日本で宗教的帰属意識が低下していった要因を考える記事を準備している理由でもある(ちなみに後者を私は度々誤って投稿しているが、いまだ完成稿には至っていない)。

 

以上を踏まえると、この動画前半のメインテーマでもある日本型政教分離の特徴は、キリシタン禁教に伴う寺請制度の整備とそれによる仏教のシステム化・イエ制度との癒着とも相まって極めて興味深いものであり、また後半のテーマである無教会主義の説明で触れられるキリスト教の教派性に対する批判は、戦国期のイエズス会による布教と急速な拡大との比較という点で参考になるものであったと感じた。