ゴルゴンゾーラ×ハチミツ>魔法の白い粉

疑り深いヤツになっちゃったのは~週刊誌のせいじゃないお前のせいでしょ~♪でも、真実を知ることが、全てじゃな~い♪

新Joyful談義:6時間もねばってごめんなさい

8/15に帰京する前日、GWの時と同じくしおみとファミレスで飯を食う約束をした。前回の会話から3ヶ月しか経っていなかったので軽く話して終わるだろうと思っていから、まさか6時間にも渡って会話することになろうとは思わなかった。だいたいこれで6割くらいだと思うが、それでも分量が多いのでいくつかの項目にまとめた備忘録として残しておく。

 

<仕事系の話> 

・大病した人の扱い
大病した人は、採用する側からしたらどのように見えるのか?その実情を詳しく聞くが、正直リスクを抱えてでも採用するのかどうか相当迷うだろう。オレ自身、かつての経験で脳溢血で半身不随になりかけた人、精神病を患っていて突然失踪した人(この時は本部にそういう履歴は教えろよゴミが、と内心かなりブチギレた)、十二指腸潰瘍に肺水腫と爆弾抱えまくりな人といった感じで様々な事情をもった人を部下に持ったことがあるので、かなり気にするだろう。またついでに言うと、自分もいつそっちの側になるかわからないとも思っている。ネタとして貯金がどうこう言ったりもするが、大病したら一発吹き飛ぶ可能性のある砂上の楼閣にすぎない。まさしくワークライフバランスという言葉通り、働き方というのはよくよく考えるべきことであると思う。



サービス残業
17:00退社と言っているが、それなら17:00に仕事を持ってくんな、としおみ談。全くその通り。言葉だけで実態が伴っていない、あるいは伴わせるつもりもないケースがいくらでもある。自分の会社でもサービス残業や深夜の居残りを防ごうと「スローガン」はぶち上げたものの、本気で変える気があるのか疑問に思っている。少なくとも、管理職の中で相当意識に違いがあるように見受けられる。たとえば以前ある部長職が月に一回しか休んでいない副部長のことを取り上げて、「去年もそのくらい仕事していればもっと部署はうまくいったのに」と100人単位の職員がいる場で公言していた。一応飲みの席ではあるが、それでけ多くの職員がいて、しかも明らかに全体に向けてしたその発言は、オフィシャルな意味を持たずにはおかない。俺は「仮にも一部上場企業の管理職が言う言葉か?」と思わず耳を疑った。その後言い訳がましく「休むときは休んでもいい」とか別の場所で言っていたが、これは何度も繰り返されたサイクルであって、もはや全く信用に値しない(聞き手がどのように受け取るか予測しなかったのだろうか?また仮にそのような働き方を称揚するようでは、結局大きい組織体は作れないという意味でも甚だ問題のある発言だと思う)。これじゃあ会社の方針が浸透する分けねーわな、と思う。もっと言えば、それを放置しているようにも見えるのは、会社自体はコンプライアンスを意識してますっていうポーズのように見える。悪いのは守ってない部署ないし個人が悪いとして切り捨てるが、そもそも実情が合っていないのだとすれば?それに浸透させようという意思がどれだけあるのか。勤怠はきちんと記録しといた方がいい。

・仕事のレベル感
1.言われたことをやらない
2.言われてその通りにやる
3.言われたことを創意工夫してやる
4.言われなくても相談の上でやる

言われてもやらないが普通に存在することが恐ろしい。優先順位はつけられるはずがない、と思った方がよい。などと言いつつ俺ら管理職レベルでさえそれで叱責されることもあり、人のことは言えないが。結局トップダウンでなぁなぁに引き受けたり消極的に面従腹背になる自分(たち)の仕事の仕方にも大いに問題がある。怒られたくないだけのダメ人間、というかそれがどんな問題やリスクを生じさせるかその場で考えつくだけのビジョンをそもそも持ち合わせていないことが本質的な問題か。

 

・謝り方
今までの経験からすると、男性は理詰めが有効だが、女性は謝意を優先にした方がよい。事情を説明すると言い訳がましく聞こえる上にいちいち聞くのがわずらわしくなる。また、女性は怒りを表明しているとき、その遥か手前で怒りのフラグは立っており、表明した内容に言葉通りに反応しても解決にならんことが多い。話を聞いてあげることが重要。と言ってはみたものの、そんなに男と女が違うか?とも思う。個人差も判断材料にする必要あり。

 

・自分の管理職としての問題点
全般的に執着が薄い。仕事の割り振りが下手。女性職員の使い方が下手。



 

・仕事とプライベートのキャラクター
しおみの場合仕事は超几帳面でプライベートはゆるゆる。そのためどこでその人と知り合ったかで相手が持つ印象が大きく変わる。その点俺は仕事で付き合っている人からも全く印象がブレない。まあ演技がド下手ってことやなw



 

<人となり>

・しおみのキャラクター
几帳面なのは中学までの要素、ゆるゆるなのは高校以降の要素が強い。大きな変化は中3でとある夭折した歌手の「悩む人間は損してる」という歌を聞いてかららしい(歌手の名前は忘れたとのこと)。それが高校で仲谷昌弘の著作を読んだ時に決定づけられたとのことだった。そのあまりの変化に驚愕して以来ずっとその理由は気になっていたので、これで多少はスッキリした感じもする。ところで、それは俺の変化とは大きく違うように思われた。というのも、自分の場合は作品などではなく自分の中で考察を積み上げた結果、今まで前提としていたものが論理的に完全否定され、パラダイムシフトが生じたからだ(そういう経験があるからか、他人が説得で変わるという意識が希薄であるし、ゆえに執着心も薄い。気付くのは他でもない自分しかいない。「説明」はするが「伝えよう」という意思が薄弱な理由)。本でも、元々思っていたこと(違和感など)がああそうかと頭の中でまとまるパターンしか経験がない。ローティであれ、ニーチェであれ、戦前の少年犯罪であれ(とはいえ、よく考えたら「無知に基づいた論理的思考」がしばしば誤りを犯すことを実感できるという点では何度もお世話になっているか。たとえば日本語=主語がない=曖昧な国民性といった見方が、朝鮮語と韓国人の関係を分析するとすぐに否定できるように。こういった視点は、「日本は八百万の神を信じているから一神教キリスト教が普及しない」などという説明が古代ローマの知識があれば即座に否定できるといったことにも繋がっていく)。まあこれはしおみも元々そういった疑問があったらから作品によって実際に変化したんだ、と言っていたけれども。

 

・人当たりがいいだけのいい加減な人
プライベートは趣味が会うし、人当たりも柔らかい人(中年)。しおみは好感を持っていたが、職場の人間から総スカンを食らっていたので理由がわからず気になっていた。そんな折、しおみが頼んでいた仕事をその人が飛ばした時、指摘したら非常に軽い感じで謝ってきた。そこでぶちギレたと言うから、相当誠意のない様子だったのだろうが、自分もそういう部下を持っていたので状況がよくわかる。てゆうか俺もそっち側になりやすい性質を持っている。人当たりがいいだけで誠意の欠片もない、あるいは責任感の欠落した振る舞い。こだわりがない、説得への期待薄という前提から生じる振る舞い。しおみはプライベートで付き合いもあるので切りきれないみたいなことを言っていたが、そこは仕事とでディバイドすべき。ダメなヤツはダメ。

 

地域性
京都(関西?)は役所に対するリスペクトが低い。共産主義が強い。自分も京大見に行ったときのことから実感としてもわかる。反体制的な土壌?。ただ、大阪も含めて反東京かというとそうでもないらしい。ただ、東京至上主義じゃない。

・選挙
同級生の中にも創価学会の人がいて、選挙の時に確認電話や一緒に会場行こうかなどとしつこくて面倒だったので縁を切ったとのこと。ただ、恐ろしいのは日本における選挙ってのは組合を含め実際そういう動員によってしばしばストリームができてきたってことなんだよな。だから単にこういうのを嫌いって言うだけでなく、別の流れを作って対抗しないと、結局こういうものが成功し続け、残存し続けるだろう。

 

・高校
小中高と一緒。高校は進学校じゃないところから見れば進学校に見えるし、進学校から見れば進学校に見えない。

 

<作品とか>

ドラえもん
俺が先日見合いした時のこと。相手が「ドラえもん」の映画を見てきたことを知っていたので、感想を聞いた上半ば確信犯的にドラえもんと他力本願の問題を振ってみた(今回の映画と大きく関わる「さようならドラえもん」は、そもそも自立の問題と深く関係している)。そしたら相手が( ゜Д゜)ポカーンとなって、まあ予想通りというか無反応だった。ここで反応があったら、俺の知る限りでドラえもんアメリカ・イギリス・オランダなど(カトリックに対して)自力救済の側面が強いプロテスタントの国では放映されてこなかった件、一方最近ドラえもんアメリカで放映されることになった件、そして映画「Ted」に代表されるようにここ数年アメリカにおいて40代になっても「成熟」しないままの男性が増えているらしい件(この辺りは町山智浩も映画「40歳の童貞男」「ハングオーバー」に絡めて語っていることだが)などを取り上げてみようと思ったのだが、まあ今までの経験上普通は感想だけで終わるわな。そのような作品が成立する背景とかまでは考えようとしない。それで結論。君はいい人だし話しやすいけど、でもそれだけだね。

 

・ Ib
ゆめにっきと似ているらしい。エンディングはなかなかに厳しいもののようだが、全員救われてほしいという「ハッピーエンド厨」が多いらしい。戦略的に「殺さない」のと、表現的な縛りで「殺せない」のは違う。必然性を考えず、不快なものを受け付けないというのは、俺自身も様々なところで見てきた。もちろん、嫌なものを進んで見たいという人は少ないわけだが、その存在理由を考えようという動機付けさえないのはどうか。洗って厨。それをネタにしたエスプリのある動画。そんなに洗ったのか気になるのなら見なければいいだけ。愚鈍ここに極まれりだな。ノイズ排除の問題→ソウルイーターの秀逸な演出。(有名)人を道徳的に叩くことで団結し、盛り上がる浅ましさとつながる。それは単に幼児的なガス抜きであって、他山の石などには決してしない。

 

・ゆっくり実況
二人ともよく見る。病院の放送を聞いたときそれを連想した・・・ってそれ逆やろwと指摘されて自分が中毒になってることに気付いたんだそうなw

 

・ニューハーフものとかレビュー
しおみはニューハーフものとかの真面目なレビューを見ると笑ってしまうらしい。まだまだ甘いのうwたとえば男の娘モノにしろふたなりモノにしろ性転換モノにしろ、自意識と快楽機能という二つの軸がある。これら要素がそれぞれどの程度含まれているか、いないかが作品の座標軸を決める。前者は自分が「アウトサイダー」だという抑圧やあるいは変化した自分とどちらが本当の自分なのか、変化した自分なら認めてもらえるといった承認機能といった視点などが挙げられる。実際、自分が関係したNHの人でも、可愛くはなりたいけど(or可愛いと思われたいけど)手術して女性になりたいとは思わないし、女性グループにはむしろ入りたくないという人もいた(女性の裏表がある感じが苦手らしい)。これは自分が男性が好きで男性から承認されたいという欲求と、理想とされる女性像にはなりたいが実際のコミュニティに入るのは別物ということだろう(実際その子はやや過剰に思えるくらい甘えるような振る舞いが見られたが、ディープに話してみるとそれが本質でないらしいことも読み取れた)。これを追求すると内面描写を多めにしないといけないのでエロコンテンツにはやや不向きで、それ抜きにした方が描きやすいように思える(たとえば、きづきあきらの作品など・・・ってやべえ題名忘れたorz)。とはいえ、葛藤が快楽に流されるといった表現も可能というかそのパターンが多く、新堂エルの『TSF物語』や最近のひねもすのたりの作品などが例として挙げられる(ちなみに「せっかくだから楽しんじゃえ!」という悪ノリパターンもあるのだが、印象としてそれほど多くないように思えるのは、受け手を葛藤させることで深くコミットさせることがしばしば狙われるからなのか?)。

後者は、要するに男性器・女性器だけでは得られない快楽によってグチャグチャになる描写が売りになるわけだ。エロコンテンツにはこれが多いが、たとえばみるくぼーいなどが好例だろう。これは(射精などは)気持ちよさが理解可能であるがゆえに、安心してコミットすることができる点にやはり特徴が求められるべきだろう。そういえば『好色少年 vol.3』では最初にチクニーをテーマとして作品が出てくるが、自分の場合はチクニーをやるようになって、男性器をいじる直線的なエクスタシーではなく、螺旋のような快楽構造を知ったのは大きな発見だった。それはふっと身体が浮くようなものであり、また一直線にゴールへ向かうものでもないからか、今まで疑問に思っていた女性のすすり泣きにも思える反応の仕方にも必然性があることが理解できた。もっと言えば、それゆえあえぎ声も違う種類のものになるし、螺旋なのに落ちるときはまっ逆さま(一瞬で冷める)である。ことほどさように快楽の種類としても異なるわけだが、前述のタイプの人物を扱う作品は様々な責めどころがあるがゆえに受け手も(チャンネルを持っていれば、だが)多重で深い快楽を得やすいという指摘ができるだろう。

またトランスセクシャル的なものとは違うが、たとえばモンスターモノならば、しっぽや耳などのフェティシズムと理解(不)可能性という軸がある。エロコンテンツは前者に偏りがちだが、後者の典型として傑作「沙耶の唄」を取り上げることができるし、あるいは洞窟で見つけたスライムを家で飼ってエサをやりつつ自分も快楽を得ていたら、結局捕食されてしまうという話(「モンスター娘パラダイス vol.5」所収)もそれに近い。

・・・とまあこういう具合に、いくらでも語ることができるとw

 

・魅力的な悪役
ジョジョ・・・DIO、吉良、ワムウなど。「悪の華」も多いが、ヴァニラ・アイスなど行動原理のはっきりした、端的に言えば「かませ犬」ではない敵が非常に多い。